19日のランチョンセミナー「在宅緩和医療の課題」と題して、医療法人社団爽秋会岡部病院の河原医師が講演された。
年間280名以上の末期がんの患者さんの自宅での看取りを支えている病院の医師の言葉には、患者として一市民として心に響く言葉が数多くあった。
その中のいくつかを紹介しようと思う。
家族に迷惑をかけたくないという患者の思いについて
今まで一生懸命家族のために働いてきたのだから
最後くらい、迷惑をかけてもいいのではないだろうかとも思う。
いずれくる自分にも死が訪れるということを実感するよい機会となる。
そして、看取る家族は、いずれは看取られる家族になる。
看取りの経験が受け継がれていく。
「死」は医療ではない。
お産と死は、医療ではない。
病院に死の専門医はいない。
すべて病院にお任せしてればいいという誤解がある。
現代科学では治せないという事実を家族も理解する必要がある。
病院は、看取りの場ではないという認識も大切。
死が医療者に近づきすぎていないか。
死には、宗教家など、いろいろな人が関わるべきではないか。
そうして、それぞれの地域社会にあった、看取り文化の再構築が必要ではないか。
「看取りと死と医療」を整理することが必要ではないか。
超高齢社会においては、施設での看取りの必要性は高い。
施設の中で看取りを行わないという所が多いが、具合が悪くなったら病院というのはちょっとおかしいのではないか。
今後、小規模グループホームに適切な医療が在宅医療の形で介入することが可能になれば、ニーズギャップが解消されるのではないだろうか。
セミナーを聞きながら思うのは
在宅での父を看取りを諦めた時のこと。
病院の看護師さんやソーシャルワーカーが
父の状態から、在宅療養は大変ではないか
といったこともあるが
家へ連れて帰るのを断念した一番大きな理由は
「死」を見つめることの不安
もしかしたら、私が一人の時に
父に「死」が訪れるかもしれないという不安
だったように思う。
在宅での看取りは
大変なことも多いけれど
家族には、看取りの満足
できるだけのことはしたという気持ち
が残るという。
しかし、在宅医療を支える医療者の数も
そのシステムも、十分だとは言えないのが現状。
そして、家族へのケアも
考えなければならない大切な問題だと言う。
看取り、看取られる人を支えるためには
医療者だけではなく
福祉関係者や宗教家そして、ボランティアなど
地域ぐるみでの取り組みが必要なのだろう。
2010年6月29日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿