2010年6月29日火曜日

看取りを考える―第15回日本緩和医療学会学術大会より

19日のランチョンセミナー「在宅緩和医療の課題」と題して、医療法人社団爽秋会岡部病院の河原医師が講演された。
年間280名以上の末期がんの患者さんの自宅での看取りを支えている病院の医師の言葉には、患者として一市民として心に響く言葉が数多くあった。
その中のいくつかを紹介しようと思う。

家族に迷惑をかけたくないという患者の思いについて
今まで一生懸命家族のために働いてきたのだから
最後くらい、迷惑をかけてもいいのではないだろうかとも思う。
いずれくる自分にも死が訪れるということを実感するよい機会となる。
そして、看取る家族は、いずれは看取られる家族になる。
看取りの経験が受け継がれていく。

「死」は医療ではない。
お産と死は、医療ではない。
病院に死の専門医はいない。
すべて病院にお任せしてればいいという誤解がある。
現代科学では治せないという事実を家族も理解する必要がある。
病院は、看取りの場ではないという認識も大切。

死が医療者に近づきすぎていないか。
死には、宗教家など、いろいろな人が関わるべきではないか。
そうして、それぞれの地域社会にあった、看取り文化の再構築が必要ではないか。
「看取りと死と医療」を整理することが必要ではないか。

超高齢社会においては、施設での看取りの必要性は高い。
施設の中で看取りを行わないという所が多いが、具合が悪くなったら病院というのはちょっとおかしいのではないか。
今後、小規模グループホームに適切な医療が在宅医療の形で介入することが可能になれば、ニーズギャップが解消されるのではないだろうか。

セミナーを聞きながら思うのは
在宅での父を看取りを諦めた時のこと。
病院の看護師さんやソーシャルワーカーが
父の状態から、在宅療養は大変ではないか
といったこともあるが
家へ連れて帰るのを断念した一番大きな理由は

「死」を見つめることの不安
もしかしたら、私が一人の時に
父に「死」が訪れるかもしれないという不安
だったように思う。

在宅での看取りは
大変なことも多いけれど
家族には、看取りの満足
できるだけのことはしたという気持ち
が残るという。
しかし、在宅医療を支える医療者の数も
そのシステムも、十分だとは言えないのが現状。
そして、家族へのケアも
考えなければならない大切な問題だと言う。

看取り、看取られる人を支えるためには
医療者だけではなく
福祉関係者や宗教家そして、ボランティアなど
地域ぐるみでの取り組みが必要なのだろう。

2010年6月28日月曜日

終末期について考える―第15回日本緩和医療学会学術大会より―

シンポジウム「遺族による緩和ケアの質の評価―J-HOPE研究から見えてくるもの」
ホスピスと緩和ケア
ホスピスは、患者と家族に医学的・心理社会的そしてスピリチュアルなケアを追求する場として発展。
ホスピスで提供されるケアを「緩和ケア」と表現。
ホスピスのみならず、在宅サービスにおいても「緩和ケア」の概念が導入されてきました。

緩和ケアサービスの質について
質の保証がないと
患者や家族の受ける苦痛が増す
医療費の無駄使いもあり得る
という懸念があります。
また、サービスを提供している側の
「よいサービスをしている」という思い込み

個別の事例ですべてを評価することは医療者の職業倫理に反するのではないか
という観点からも、質の保証は大切です。

日本における緩和ケアサービスの質の評価は、全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会(現在のNPO法人日本ホスピス緩和ケア協会)が1998年6月に評価基準検討委員会を発足させたのが始まりです。
今回の発表は、2006年度から3年をかけて行われた「遺族によるほすぴす・緩和ケアの質の評価に関する研究」です。

今回は、このシンポジウムを聞いた、患者として市民としての感想を書きます。

患者の「迷惑をかけているのではないか」感
多くの患者が「家族に迷惑をかけているのではないか」や「自分には存在価値があるのだろうか」という負担感。
平成20年に行われた厚労省の調査でも、最期は病院や施設で過ごしたいと思っている人が、その理由として「家族に迷惑をかけたくないから」と答えています。
この調査では、患者の負担感軽減のためには「負担を感じさせないケア」や「してもらっていると感じさせない態度や言葉使い」「本人の自立を最大限いかしたケア」「本人のやる気を支える」ことが大切だとされました。
これは、家族が患者を支える時や介護する時にも言えること。
でも、もし自宅で最期を過ごすとなれば、24時間一緒にいる家族にとっても大きな負担。
そのためにも、家族や支える人をケアするためのシステムの充実が必要ですね。

予後の伝え方
患者より先に、家族に予後が伝えられることもあるとのことですが、そのことに関する家族の負担感は大きいようです。
予後をどのように伝えるか、誰が伝えるのか、誰に伝えるのか、どのような場所で伝えるのか
伝え方一つで、家族の理解度や負担感が大きく左右されるのではないでしょうか。

終末期における本人の意思の重要性については、この学会でも何度も耳にしましたが、終末期に本人の意思に添った治療が行われるためにも、この予後の伝え方は大切な問題だと思います。

食べられなくなった時

患者が食べられなくなった時、家族は「もうなにもしてあげられない」という無力感に陥るといいます。
終末期における脱水が必ずしも苦しくないことを伝えることが重要だとされました。

「食べられなくなった時」という問題は、がん患者のみならず高齢者の終末期においても大きな問題となっているのではないでしょうか。

そして、これまたこの大会で何度も聞いた「看取りの教育」の必要性に関連する問題ですね。
医療者のみならず、日本人全員が考えなければならないことです。

患者の声を届けよう―CNJがん医療セミナー(6月27日)から

6月27日、NPO法人CNJのがん医療セミナー「もっと知ってほしい代替医療の科学的根拠のこと」に参加しました。
BEC(乳がん体験者コーディネーター)やCIN(がん情報ナビゲーター)の活動報告の後、「もっと知ってほしい代替医療の科学的根拠のこと」という特別講演で、代替医療の中でも「健康食品」を中心にしたお話でした。

埼玉医科大学国際医療センターの大野智氏の講演は、「代替医療についてわかっていることはほとんどない」ということを改めて確認することができました。

続いて行われたパネルディスカッションでは、代替医療をしているという患者さんから相談を受けた時、どのように答えるのかという話がありました。
その時「なるほど!」と思ったことがあります。それは……
「一定の間隔をあけて、確認してあげる」ということ。
「代替医療をしていて、調子はよくなりましたか?」「がんの大きさなどは、どうですか」

患者が代替医療を選ぶ理由に「不安」があります。
「不安」から始めた代替医療は、途中で止めることがなかなかできない。
たとえ、顕著な効果がなかったとしても「もう少し続ければ」とか「今やめると状態が悪くなるかもしれない」という「止めることへの不安な気持ち」が、代替医療から離れられなくなっていることもあるのではないでしょうか。
「不安」の連鎖により続けてしまう代替医療(健康食品)には、高額なものがあり、経済的負担になっていることもあります。
でも「不安の連鎖」から抜け出せない……という時、第三者による「不安の連鎖」を見直す機会を与えられることは、とても大切なことだと思いました。

会場からの「患者の不安を取り除くような医療が必要ではないか」という事は、この講演を聞きながら私も感じていたこと。
MDアンダーソンがんセンターの上野直人氏からは、「現在の日本の医療環境は、アメリカから見ると40年くらいの差がある」「アメリカも40年かけて、患者中心の医療といえるものを作ってきた」「日本もこれから……。そのためには、患者が受けたい医療が何であるかを、医療者へ社会へ届けなければならない」

そして、患者や市民が声をあげることにより政治が動いた例として、子宮頸がんワクチンの話も出ました。
患者中心の医療と言いながら、そして「患者様」「○○様」と呼ばれても、患者としての満足度があがらない日本の医療―患者は、「様」と呼んで欲しいのではないこと、患者が真に必要としている医療とは
それは、患者でないとわからない。

患者の声を医療者へ、そして、社会へ届けるため、私たち患者も考え、行動しなければならないのだろう。

2010年6月25日金曜日

日本緩和医療学会で聞いた「モルヒネ」

がんの疼痛管理のための「モルヒネ」
そして
呼吸器不全への「モルヒネ」処方

6月18~19日に行われた
日本緩和医療学会で聞いた
モルヒネに関する話。

悪性疾患
非悪性疾患
のどちらの話でも
「モルヒネ」を適正に使うことが大切
ということを言われていた。

日本人は
「モルヒネ」には
「麻薬」という悪いイメージが
つきまとっているらしい。
そのせいかどうか
日本の医療におけるモルヒネの量は
諸外国に比べて少ないのだそうだ。

どんな病の患者でも
痛みが伴うものであるならば
その痛みが、薬で取り除けるのならば
その痛みがなくなることで
日常生活を保つことができるならば
精神状態を保つことができるならば
取り除いてほしいものだ。

2010年6月23日水曜日

第15回日本緩和医療学会―2日目シンポジウム「非悪性疾患の緩和ケア」から

緩和ケアといえば「がん」というイメージが強い。
が、神経難病の患者家族として、そして看取りの経験から「がんばかりに緩 和ケアが必要なわけではない」とず~っと思っていた。
だから、このシンポジウムは、とても楽しみにしていた。
お話を聴きながら、大きく頷くことが多かった。

例えば
「高齢者は、いつからが終末期なのか」

「高齢者の緩和ケアは
認知症と診断された時点
や要介護と認定された時点など
早い段階から」
ということは、医療者ではない一市民が
生活の中で実感している事だ。
今後、誰もが終末期の緩和ケアを受けることができる仕組みが
できることを期待したい。

では、シンポジウムから大きく頷いた話をいくつか紹介しよう。

まずは、超高齢社会に突入している日本の現状

我が国の年間死亡者数
75歳以上の後期高齢者の死亡者数が伸びている
後期高齢者になってから死亡する人が増えている。
高齢者の終末期っていつから?
ご飯が食べられなくなったら……?
寝たきりに
意識がなくなった
尿がでなくなった
日本老年医学会・立場表明としての定義
「病状が不可逆的かつ進行性で
その時代に可能な最善の治療により
病状の好転や進行の阻止が期待できなくな り
近い将来の死が不可避となった状態」

この定義は「あいまい」だが
非悪性疾患の高齢者の終末期には、次のような難しい問題があるのだという。

予後の予測が難しい
延命治療を選択するか否かにより予後が異なる
急変や突然死がある一方で、終末期と診断した高齢者の1割は回復
終末期医療に関しては「本人の意思決定」が基本とは言うものの
病気によっては、自分で決定できなくなっていることもある。
また、日本社会には
本人の意思決定も大切だけれども、家族の気持ちも大切
という考え方もあることから
「本人の意思決定による終末期医療」は難しいのだそうだ。

以前、厚労省の調査で、延命治療について
家族の延命治療について「望む」と答えた人が
自分の延命治療について「望む」と答えた人よりも多い
という調査結果があったが
そのことからも、家族の一日でも長く生きていてほしいという願いにより
もしかしたら、本人が望まない治療を受けているということがあるかもしれない。

今後の課題
看取りや死の教育の必要性
終末期ケアについての認識がまだまだ不充分
介護者に対するサポート体制の必要性
多大な介護力の確保―医療チームや地域連携

これらの課題については、がんにおける緩和ケアや医療でも常に出てくる話だ。
この発表の中
「終末期ケアに関しては、がんも非がんもないのではないか」というものがあった。
確かにそう思う。

また、延命治療の選択について
選択することができ
選択した治療を中止することもできる
という事についても、考えていく必要があるだろう。
このシンポジウムでも
人工呼吸器をつけることよりも
外すことの方が難しい……
という話もあった。

本人の意思決定による終末期医療
本人の意思は、常に変化する

経管栄養についても、ゆるやかな安楽死なのか
延命治療なのか
しかし、栄養を入れないと確実に死亡するのだから
やはり延命治療と考えるべきではないか

203X年まで、増え続ける死亡者数。
終末期の緩和ケアは
「尊厳死」にもつながる大切な医療であることを
社会全体で考えていかねばならないだろう。

2010年6月22日火曜日

「ありがとう」を伝えよう

今日、同じ病の方とおしゃべりをした。
3月に「がん医療の夢を語る―ドリーム・チーム」のキックオフフォーラムで、お隣に座っていた方。
マイドリームの写真を取り合って、少しの間おしゃべり。同じ病だとわかった。

今日は、病のことを一杯おしゃべ りした。
おしゃべりするうち、彼女が小さな手作りのカードを手渡した。
そのカードを見て、日本緩和医療学会で患者として気づいたこと(6月20日のブログ記事参照)がある、という事を話した。

「医療者へ、き ちんとありがとうって言いたい。でも、ちょっとてれくさかったりする。……サンクスカードのようなものができないかなって考えている」

彼女はこのカードを、主治医らに手渡しているのだという。

彼女が作っているホームページ「紙工作 雅」で、手作りカード用のpdfがダウンロードでき る。
それを、中厚紙にプリントアウトして、色をぬって・切って・貼って、言葉を添えて……
次の診察日には、主治医にそっと手渡そうと思う。

「紙工作 雅」ホームページ

2010年6月20日日曜日

日本緩和医療学会学術大会、シンポジウムでの気づき

日本緩和医療学会に参加して、患者として一市民としての気づき

6月18日午後にあった「遺族による緩和ケアの質の評価―J-HOPE研究から見えてくるもの」というシンポジウム。
緩和ケア病棟からご遺族へ「グリーフカード」というものを送付しているという話をされている時のこと。
ふと、3年前の父の看取りのことを思い出した。
父の最期は、病院の一室だった。がんではないので、緩和ケア病棟ではなく、療養病棟。
その時に、家族の誰1人間に合うことなく、主治医と看護師に看取られ、看護師は車で移動中の私へ死亡時刻を電話してくれた。
父の病室に行くと、いつも通りの寝顔でベッドに横たわっていた。
ちょっとゆすってみた。すでに体は冷たかった。
でも、私の心は少しほっとしていた。父が、あんなに嫌がった胃ろうのチューブも、酸素マスクもしていなかったからだ。
そして、お葬式が終わって落ち着いた頃、その請求書が届けられた。

その事に、文句があるわけではない。
当然支払わなければならない医療費だし、請求書が来るのは当たり前のことだ。というか、請求書が来ないと、こちらも困る。

でも、その前に「グリーフカード」というものが届けられていたとしたら、どうだっただろう。
そしてそこに一言、生前の父の病院での様子が、書かれていたとしたら……
ちょっとしたことでいい。病室でのこと、最期の時のこと、何でもいい。一言添えてあったなら、しみじみとうれしかっただろうな……

と思い出に浸っている私の耳に、「でも、ご遺族の方がグリーフカードをどのように思っていらっしゃるのか……」という声が聞こえてきた。
私は、はっとした。

私たち患者や市民は、医療者の心遣いに「ありがとう」ときちんと伝えているだろうか。
要望ばかりを声高に叫んでいないだろうか。

医療者と患者のコミュニケーションには、患者ももっと積極的に関わる必要があるのかもしれない。



2010年6月18日金曜日

第15回日本緩和医療学会学術大会

2010年6月18~19日開催の日本緩和医療学会に、NPO法人キャンサーネットジャパンの「学会へいこう」というプログラムで参加。
「学会に参加なんておこがましい」と思いつつ、興味津々でセミナーを聞いているうちに、一市民として、一患者としての気づきもありました。
明日は、9時30分からぜひ聞きたいセミナーがあります。
早起きして、ワンコの散歩や雑用を片づけて、行かねば!

学会参加の様子は、後日お話します。

2010年6月16日水曜日

センチネルリンパ節生検での腋下郭清省略―第46回米国腫瘍臨床学会

日経メディカルオンライン・癌エキスパート 2010年6月11日の記事

「センチネルリンパ節生検により腋下郭清を省略しても、長期予後は変わらず、陰性の場合の腋下リンパ節郭清の実施は利益をもたらさないという有益なエビデンスが提供された」

ふ~ん。
今更ながら、よかったと安堵する。

でも、すでにこれって標準治療になってるのに……
と思って、もう一度よく記事を読み返してみると
なるほど
長期予後については、明らかになっていなかった
ということらしい。

臨床的にリンパ節転移がない乳がん患者が対象で
センチネルリンパ節生検の結果に関わらず、リンパ節郭清した群と
センチネルリンパ節陰性でリンパ節郭清を省略した群を分析したところ
生存率や無病生存率に差がなかった

……ああ、しかしこの生存率や無病生存率ってのが
患者にとっては、非常に悩ましい数字。

生存率95%とか90%とかを見ると
ついつい、5%や10%のことを考えてしまう……

いやいや、だめだめ。
今、私はちゃんと標準治療を受けている。
そんな否定的な考え方をしては、いけない。
術後1年も経過した。
ホルモン療法も、きちんと受けている。
そんなネガティブな数字を気にするよりも
毎日飲まなければならない薬を
飲み忘れないようにすることが大切なのだ!!

転移性乳がんの治療について―第46回米国臨床腫瘍学会

日経メディカルオンライン・癌エキスパート2010年6月13日の記事によると

「乳がんの原発巣と再発巣のホルモン受容体の状態が、30%の患者で異なることが明らかになった。」

なので

「転移性乳がんの治療は、転移の疑いのある部位の生検が良い治療につながる。」

との事。

私の乳がん原発巣は、エストロゲン、プロゲステロンともに強陽性。
なので、再発・転移の時も、ホルモン療法が第一選択となる。
でも、これってほんまにええんやろか?
と、密かに思っていた。
なぜ、そのように思うかの根拠はない。
でも、なんとなく、患者としてのカン。

そもそも、再発や転移と診断された時、生検ってするんだろうか?
がん情報サービスの乳がんの説明にも
遠隔転移の検査として
胸部レントゲン撮影、肝臓のCTや超音波検査、骨のアイソトープ検査(骨シンチグラフィ)
などを行うとあるが
生検をするとは書いていない。

そもそも、肺や肝臓に出来たがんが
初発ではなく、転移だというのは
なぜわかるのだろうか?
乳がん患者だから、肺にできたら乳がんの転移?
それって、ほんま?
もしかしたら、それは転移ではなく、初発の肺がんって事はないのだろうか?

がんという病は、なんとも不可思議で、まったくもって侮れないと、つくづく思った。
医療者や研究者の皆様、がん撲滅の日まで
がんばって下さいと、心密かに応援を送る……

2010年6月15日火曜日

B型肝炎と化学療法

日経メディカルオンライン 6月15日の記事「B型肝炎と化学療法でウィルス再増殖」によると

HBs抗原陽性のHBV持続感染者(キャリア)に免疫抑制薬や抗癌剤を投与すると、HBVが急激に増殖し、劇 症肝炎を起こすケースが臨床現場で問題。

なのだそうだ。
何でも、HBVは一度罹ると一生潜在し、治療などがきっかけで再活性化するのだという。
化学療法後の副作用と診断されるケースも多いのだという。

実は私も,B型肝炎キャリア。
へぇ~、これはちゃんと覚えておかなければ。
そしてもし、化学療法が必要になったなら、ちゃんと主治医に報告しなければ。

このニュースを読んで、がんとの長い付き合いの中で
自分の体をきちんと把握すること
そして、いろいろな情報に触れて、病の知識を得ることの大切さを
改めて感じた。

2010年6月11日金曜日

新生国立がん研究センター

今までの国立がん研究センターは「ガン難民」を生みだしてきたという批判があったそうです。
なんでも、「これまで国立がんセンターは、難治や再発などの癌患者の受け入れを断って」いたそうです。
(2010.6.11 日経BPより)

へぇ~とびっくりしてしまいました。
そして、国立がん研究センターのホームページをみると「新生がん研究センターの新たな取り組み」というページがあり、新しい形のセカンドオピニオン外来:がん対話外来が7月1日から予約開始すると書いてあった。
患者さんを中心に、看護師やその患者さんのがんの専門科の医師が、患者さんの話に耳を傾け、対話しながらがんの悩みにこたえてくれるのだという。

患者としては、大いに期待したい取り組みだと思う。
日本中どこでもこのような患者中心の医療のための取り組みが広がっていくよう、ぜひともがんばって頂きたい。

折しも政治の世界では、管新内閣が動きだした。
どちらも、国民のため市民のための取り組みをすすめてもらいたいものだ。

2010年6月9日水曜日

日本対がん協会が、乳がん検診をプレゼント

日本対がん協会が、「乳がんをなくすほほえみ基金」を基に、乳がん検診無料券のプレゼントをしています。
対象は、40歳以上の女性。

ディノスのホームページで応募し抽選でもらえるそうです。
(応募締め切り、6月27日。ネット上で応募できます)

但し、受診できる機関が決まっているそうです(ディノスのホームページで確かめることができます)。

昨年の死亡者数で最も多かったのが「癌」。
女性は最多が「大腸」で1万9659人。以下は、「肺」1万8546人、「胃」1万7236人、 「乳房」1万1914人、「肝」1万1083人、「子宮」5523人 2010年06月07日 15:19 キャリアブレイン

早期発見・早期治療が、最大の予防とも言われるがんです。
40歳以上の女性で、まだマンモ検診を受けたことがない方や、ご家族にそのような方がいらっしゃる方、応募してみてはいかがでしょうか。


2010年6月8日火曜日

西洋医学と東洋医学で患者を支える

2010.6.7日経web版
「漢方薬の有効性を、西洋医学に基づいて検証した漢方薬のエビデンスが、300を超える」

この記事を読んで、思い出した事があります。
それは、「“ツボ”にはエビデンスがある」という事 「へぇ~・へぇ~」と聞いたこと。

さっそくネッ ト検索してみると、鍼灸医療研究会というところが出している「鍼灸ニュースレター」に、以下のように書かれていました。
身体をひとつの小宇宙としてとらえ、そのバランスが崩れたときに「病」が 発症するという鍼灸の考え方が、世界中で注目され、メカニズムの研究や診療研究も各国で進められ。長期にわたる検討のすえ、ツボの一が世界で標準化さ れ……そして……WHO標準経穴部位英文公式版が、20085月に発刊。

鍼灸治療は、抗がん剤のしびれなどの症状や、西洋医学で緩和できない痛みに効果があると言われています。
以下のサイトに、鍼灸とがんについて詳しく書かれています。

がんサポート情報センター 「痛 み緩和 国立がんセンター緩和ケア科の鍼灸治療」


がんの代替療法の科学的検証と臨床応用に関する情報


全日本鍼灸学会の認定者一覧


西洋医学でも東洋医学でも、患者にとって有効な治療は、どんどん取り入れられるようになってほしいですね。






2010年6月6日日曜日

がん医療と死生観

All Aboutの「がん」サイト、5月30日付の記事

「自分の死生観を明らかにし、同じ死生観を持った医療人とのコラボレーションが満足行く医療には欠かせない」

という記事が載っている。

がん医療における、新たな治療法や薬の開発はめざましく、余命も伸びている。
ただ、余命ばかりではなく、QOLにも注目する必要があるだろう。
今は、QOLを保ち、日常生活を送りながらがんと共存している人も多い。
しかし、いつか終末期といわれる時期がくる。
その時、どのような医療を受けたいのかを、しっかりと考えておく事も大切だろう。
そして、その事について家族とも、十分話し合っておくことも必要かもしれない。

平成20年の厚労省の、延命治療についての調査では
自分の延命治療を望む人の割合よりも、家族の延命治療を望むという人の割合の方が多かった。

家族には一日でも長く生きていてほしい……という気持ちの現れなのか
または
家族と言えども他人の命を考えることは難しい……という気持ちの現れなのか。

人それぞれに違う死生観。
それぞれに違うからこそ
その死生観を静かに受け入れることも
時には、必要なのかもしれない。