日本緩和医療学会に参加して、患者として一市民としての気づき
6月18日午後にあった「遺族による緩和ケアの質の評価―J-HOPE研究から見えてくるもの」というシンポジウム。
緩和ケア病棟からご遺族へ「グリーフカード」というものを送付しているという話をされている時のこと。
ふと、3年前の父の看取りのことを思い出した。
父の最期は、病院の一室だった。がんではないので、緩和ケア病棟ではなく、療養病棟。
その時に、家族の誰1人間に合うことなく、主治医と看護師に看取られ、看護師は車で移動中の私へ死亡時刻を電話してくれた。
父の病室に行くと、いつも通りの寝顔でベッドに横たわっていた。
ちょっとゆすってみた。すでに体は冷たかった。
でも、私の心は少しほっとしていた。父が、あんなに嫌がった胃ろうのチューブも、酸素マスクもしていなかったからだ。
そして、お葬式が終わって落ち着いた頃、その請求書が届けられた。
その事に、文句があるわけではない。
当然支払わなければならない医療費だし、請求書が来るのは当たり前のことだ。というか、請求書が来ないと、こちらも困る。
でも、その前に「グリーフカード」というものが届けられていたとしたら、どうだっただろう。
そしてそこに一言、生前の父の病院での様子が、書かれていたとしたら……
ちょっとしたことでいい。病室でのこと、最期の時のこと、何でもいい。一言添えてあったなら、しみじみとうれしかっただろうな……
と思い出に浸っている私の耳に、「でも、ご遺族の方がグリーフカードをどのように思っていらっしゃるのか……」という声が聞こえてきた。
私は、はっとした。
私たち患者や市民は、医療者の心遣いに「ありがとう」ときちんと伝えているだろうか。
要望ばかりを声高に叫んでいないだろうか。
医療者と患者のコミュニケーションには、患者ももっと積極的に関わる必要があるのかもしれない。
2010年6月20日日曜日
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