2010年6月23日水曜日

第15回日本緩和医療学会―2日目シンポジウム「非悪性疾患の緩和ケア」から

緩和ケアといえば「がん」というイメージが強い。
が、神経難病の患者家族として、そして看取りの経験から「がんばかりに緩 和ケアが必要なわけではない」とず~っと思っていた。
だから、このシンポジウムは、とても楽しみにしていた。
お話を聴きながら、大きく頷くことが多かった。

例えば
「高齢者は、いつからが終末期なのか」

「高齢者の緩和ケアは
認知症と診断された時点
や要介護と認定された時点など
早い段階から」
ということは、医療者ではない一市民が
生活の中で実感している事だ。
今後、誰もが終末期の緩和ケアを受けることができる仕組みが
できることを期待したい。

では、シンポジウムから大きく頷いた話をいくつか紹介しよう。

まずは、超高齢社会に突入している日本の現状

我が国の年間死亡者数
75歳以上の後期高齢者の死亡者数が伸びている
後期高齢者になってから死亡する人が増えている。
高齢者の終末期っていつから?
ご飯が食べられなくなったら……?
寝たきりに
意識がなくなった
尿がでなくなった
日本老年医学会・立場表明としての定義
「病状が不可逆的かつ進行性で
その時代に可能な最善の治療により
病状の好転や進行の阻止が期待できなくな り
近い将来の死が不可避となった状態」

この定義は「あいまい」だが
非悪性疾患の高齢者の終末期には、次のような難しい問題があるのだという。

予後の予測が難しい
延命治療を選択するか否かにより予後が異なる
急変や突然死がある一方で、終末期と診断した高齢者の1割は回復
終末期医療に関しては「本人の意思決定」が基本とは言うものの
病気によっては、自分で決定できなくなっていることもある。
また、日本社会には
本人の意思決定も大切だけれども、家族の気持ちも大切
という考え方もあることから
「本人の意思決定による終末期医療」は難しいのだそうだ。

以前、厚労省の調査で、延命治療について
家族の延命治療について「望む」と答えた人が
自分の延命治療について「望む」と答えた人よりも多い
という調査結果があったが
そのことからも、家族の一日でも長く生きていてほしいという願いにより
もしかしたら、本人が望まない治療を受けているということがあるかもしれない。

今後の課題
看取りや死の教育の必要性
終末期ケアについての認識がまだまだ不充分
介護者に対するサポート体制の必要性
多大な介護力の確保―医療チームや地域連携

これらの課題については、がんにおける緩和ケアや医療でも常に出てくる話だ。
この発表の中
「終末期ケアに関しては、がんも非がんもないのではないか」というものがあった。
確かにそう思う。

また、延命治療の選択について
選択することができ
選択した治療を中止することもできる
という事についても、考えていく必要があるだろう。
このシンポジウムでも
人工呼吸器をつけることよりも
外すことの方が難しい……
という話もあった。

本人の意思決定による終末期医療
本人の意思は、常に変化する

経管栄養についても、ゆるやかな安楽死なのか
延命治療なのか
しかし、栄養を入れないと確実に死亡するのだから
やはり延命治療と考えるべきではないか

203X年まで、増え続ける死亡者数。
終末期の緩和ケアは
「尊厳死」にもつながる大切な医療であることを
社会全体で考えていかねばならないだろう。

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