2010年7月20日火曜日

患者サロンについて―第15回日本緩和医療学会学術大会より

6月19日のシンポジウム「実証研究から見るスピリチュアルケアの方向性」の中で、

患者がどのような「スピリチュアルケア」を望んでいるかというインタビュー調査の発表があった。

その中で、すべての精神的苦痛に対して、有効だったことはという問いに対し次のような答えがあったという。

・ 病気以外の話も聞いてくれる。

・ 気持ちをわかってくれる。

・ 一緒に考えてくれる。

・ 患者の意思を第一に考えてくれる。

・ 普通に接してくれる。

これって、私たち「患者サロン」でしていることじゃないの?と思っていたところ、京都大学大学院 人間・環境学研究科の佐藤泰子氏から、「患者サロン」についての研究発表がありました。

『患者の語りを患者が聴くことの意味』

京都大学大学院 人間・環境学研究科 佐藤 泰子


「患者に患者のケアができるのか」という問いに対する答えとしては

患者は患者の体験や苦しみを知っている。そこに、援助の可能性があるかもしれない。回復させる瞬間があるかもしれない。

これだけは言える。

「そうだよね・つらいよね」という言葉の重みが違う。

この「わかってもらえた感」の違いは、セルフケアのスタートとなるのではないか。

患者は、退院すると健康な人たちの中で病を語れないという孤独感にさいなまれる。
この患者の不平・不満を誰かが受け入れることは必要であり、医療者との関係性や治療への意欲という点においても有効ではないだろうか。


「患者が自分の病を語ることの意味」について

人は苦しい事があったとき、そしてその苦しい事をどうすることもできない(苦しい事が不可避である)時、自分の思いを動かして対処しようとする。

病を語る事で、自分にとっての病の意味や認識を変更させて、新しい意味を探し出すのではないだろうか。

患者は、語ることによってバラバラに浮かんでくる思いを再構築し、閉塞された圧倒的な苦しさから少し解放され、次のステップへ進むことができる。


サロンに集う患者は、聴くということで、同じ病の患者をを支える。


患者が語り、患者が聴くことの意味は、まず「どうせ話してもわかってもらえない」という蓋を外せるということではないか。

「わかってもらえない」という蓋を取り外すことができ、「わかってもらえた気がする」ことが、患者サロンでの患者の語りの意味ではないだろうか。


しかし、同じ患者同士といっても、自己と他者の間には溝がある。

この溝があるからこそ、一生懸命語ることができ、苦しさからの解放が始まり、新しい意味と出会うことができる。


聴く役割をになう患者も、語る患者との関係性で自分の役割に気づき、自己肯定や生きる意味を見出すことができるのではないか。

患者サロンには、談話型・レクチャー型・混合型などいろいろあるが、今後は、サロンの問題点を洗い出し、運営の方法論を確立していく必要があるのではないか。

患者サロンは、パラレルなケアの場であるべきであり、ファシリテーターや世話人の質も問われることになるだろう。

そして、参加者の「聴いてあげる力」も大切。参加者が、「聴く」という役割をになっていることを自覚することも必要ではないだろうか。



佐藤先生のお話は、患者として、そして患者サロンを運営するものとして「納得」の連続であると同時に、このような患者サロンでありたいと思えることばかりでした。
特に「患者が語ることの意味」そして「その話に患者が耳を傾けることの意味」には、サロン運営の柱ともなる考え方だと思いました。

がんサロンを立ち上げて3か月。

まだまだ「がんサロン」というものが、一般に認識されていない。

一般もそうだが、医療者にも患者自身にも、がんサロンは認識されていない。

がんサロン運営は、課題が山積みだが、私たち世話人もしっかりと勉強をして、患者にも、医療者にも、そして地域にもその必要性がわかってもらえるようにしていきたいと思う。

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